| [解 説] |
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60年前の太平洋戦争中、九州から沖縄のアメリカ艦隊に向かう特攻機は、一旦、九州・沖縄の中間にある中継基地、喜界島で給油や整備をし、再び沖縄に向かった。 |
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 夜明け前に特攻出撃する若い隊員たち(19才前後)に、娘たちは野の花を贈っていました。
隊員たちはその花を握りしめ沖縄に向い、途中の島の滑走路に、
何かを願うように、そっとその花を置き、再び沖縄に向け飛び立って行きました。
その花の種が風に舞い・・・
60年たった今も毎年、滑走路周辺に花を咲かす、この天人菊を、
島の人たちは、「特攻花」と呼び、平和を願う花として大切にしています・・・ |
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この花の話を聞いた19才の私は、「その花を見たい、撮りたい」との思いから
5年間喜界島に通うことになり、写真家をめざすきっかけにもなりました。
その間、「戦友は死に、自分だけが生き残った・・・」と悩まれた元特攻隊員の板津さん(80)
(知覧特攻平和会館・顧問)や、喜界島に爆撃機で天人菊を運び戦死した友人を著書にした市川さん(84)や島の住職さん、医師不足のため島へ来られた老医師さんとも親しくなり、5年目には島のたくさんの若い人達が応援してくれました。
一つのお話しから始まり、百への話へつながった喜びと、「伝える」責任も学びました。
私たち若い人たちが過去を知り、それを受け止め逆に自分の人生に夢を持ち、
何があってもへこたれずに、生きて行ければ・・・
平和を願う花、特攻花を通じて、その橋渡しの何かが出来れば・・・と思っています。
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